代表者挨拶

創業の精神

~歴史を忘れた民族は滅びる。創業の思いを忘れた会社は衰退する~

創業者の想い

高校卒業から初めての社会人経験(1990年)

1990年3月、高校を卒業した私は、それまで3年間アルバイトをしていたガソリンスタンドに、そのまま正社員として就職しました。
しかし、社会人としての自覚が乏しく、気持ちもまだアルバイト感覚のまま。わずか数ヶ月後の夏には、早くも退職することになりました。

その後、ガソリンスタンドの常連客だった運送会社の方とのご縁で、1日だけトラックに助手として同乗させていただく機会を得ました。その経験に心を動かされ、運送業界へと足を踏み入れることになります。これが、私にとって運送の道を歩む原点となりました。

右も左も分からない中で、多くの失敗を繰り返しながらも、毎日の仕事の中で少しずつ成長を実感できる喜びがありました。
運転が好きだった私は、「荷物を責任をもって届ける」という仕事に、大きなやりがいと誇りを感じるようになっていきました。

経験を積み独立を志す(1993年~1996年)

勤めはじめてから3 年が経ち、経験を活かし21 歳で大型免許を取得しました。現場で経験を積んでいた頃、先輩たちが自分のトラックで独立して働く姿に強く惹かれるようになりました。

「自分も、いつかはあのように独立したい」――その想いが日に日に強まり、やがて私は勤めていた会社に退職の意思を伝えました。
内心では「引き止めてもらえるかもしれない」という淡い期待もありましたが、退職届はあっさりと受理され、その瞬間に感じた寂しさと不安は、今でもはっきりと覚えています。

その後、中古トラックを購入するために金融機関を回りましたが、信用も実績もなかった私に融資はしてもらえず、保証人もなく、どこへ行っても門前払い。
「独立」とは、現実の壁の高さを思い知らされる厳しい挑戦でした。
やむなく町田市の運送会社に再就職し、「これはあくまで一時的なもの。トラックが買えるまで」と自分に言い聞かせながら働き続け、気がつけば2年が経っていました。

独立のチャンスと個人事業主としてのスタート(1997年)

独立の夢が遠のいていく現実に、「いっそ運送業界を離れようか」と悩んでいた矢先のこと1 本の電話が、私の人生を大きく動かしました。
「俺が引退するから、このトラックを譲ろうか。ただし、残ってる借金は引き受けてくれよ。」私は「これが最後のチャンスだ」と直感し、迷わずその申し出を受け入れました。

そして、1997 年、ついに個人事業主としての独立を果たし、ようやく自分のトラックで走り出す日が訪れたのです。
最初の仕事は、荷主様への挨拶回り。まずは顔を覚えてもらうことからのスタートでした。いただいた最初の仕事の喜びは、今も鮮明に心に残っています。

ところが、理想と現実のギャップは大きく、厳しい現実が待っていました。
古い年式のトラックは故障が続き、燃料を満タンにする余裕もなく、タイヤは知人からもらった廃タイヤでしのぎ、高速道路も使えず、夜通し国道を走る毎日。

それでも、お客様からの「ありがとう」「助かったよ」という一言が、何よりの励みでした。
どんなに苦しくても、自分の仕事が誰かの役に立っている――そう実感できたときの喜びは格別でした。
「この仕事は自分の天職だ」そう確信できたのは、まさにそんな経験の積み重ねによるものでした。

法人化と経営者としての試練(2002年~現在)

そして2002 年1 月、30 歳で法人を設立。個人から組織へ、新たな一歩を踏み出しました。とはいえ、そこからの道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
仲間の裏切り、取引先とのトラブル、裁判や損害賠償問題、原油高騰など――
経営者としての未熟さを痛感する困難が次々と押し寄せました。

何度も立ち止まりそうになりながらも、決して諦めることなく、一歩一歩、前に進んできました。
その積み重ねの結果、現在では兵庫三木市と神奈川県相模原市の2 拠点を構え、保有車両は40台を超えるまでに成長しました。
経営の才能があるとは思っていなかった私がここまで来られたのは、何より社員一人ひとりの支えがあったからです。

私にとって、社員は「力」であり「誇り」です。
この感謝の気持ちは、どんな困難に直面しても、決して揺らぐことはありません。


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